【北魏】元明月|北魏平原公主と孝武帝の寵愛、宇文泰による悲劇の最期

北魏の皇女・元明月 03.公主

元明月(げんめいげつ)は、北魏皇族の女性で、平原公主に封じられた人物である。
祖父は北魏の孝文帝、父は京兆王元愉、母は楊奥妃で、
のちに西魏初代皇帝となる元宝炬の同母妹にあたる。

その生涯は、北魏末期の激しい政争と深く結びついていた。
父・元愉は508年に反乱を起こして敗れ、
母もその後に処刑されたため、元明月は幼くして両親を失った。
成長後は平原公主となり、
一度結婚したものの夫と死別して寡婦となったことが『北斉書』に記されている。

さらに孫騰と封隆之をめぐる再婚問題を経て、北魏孝武帝・元脩と特別な関係を持つようになる。
534年、孝武帝が高歓との対立から洛陽を離れて関中へ向かった際には元明月も同行した。

しかし長安に入った孝武帝と宇文泰の関係は悪化し、
宇文泰は元氏の諸王に命じて元明月を殺害させた。
元明月の死に激怒した孝武帝は宇文泰との対立をさらに深め、その直後に自身も急死する。

元明月は政治を主導した人物ではない。
しかし父の反乱、北魏宮廷の混乱、高歓と孝武帝の対立、北魏の東西分裂、
そして宇文泰による西魏政権樹立へと続く大きな政治変動のなかで、
その生涯を翻弄された皇族女性だった。

北魏皇族として生まれる

元明月は北魏の京兆王・元愉と楊奥妃の娘として生まれた。
祖父は北魏の孝文帝・元宏であり、北魏皇室の直系に近い皇族女性である。

父の元愉は孝文帝の子で、宣武帝・元恪の異母弟だった。
母の楊奥妃は元愉から深く寵愛された女性であり、
元愉との間に元宝月・元宝暉・元宝炬らの男子をもうけている。
元明月はその兄弟たちの妹にあたり、とりわけのちに西魏文帝となる元宝炬とは同母兄妹だった。

父・元愉の反乱と両親の死

508年、冀州刺史となっていた元愉は信都で反乱を起こし、自ら皇帝を称して建平と改元した。
楊奥妃も皇后に立てられたが、北魏朝廷から派遣された李平らの軍によって反乱は鎮圧される。

元愉は楊奥妃や子供たちを伴って逃亡したものの捕らえられ、洛陽へ送られる途中で死亡した。
史料には自殺したとする記述と、権臣・高肇によって殺されたとする記述があり、
その最期には異説がある。

楊奥妃も処罰の対象となった。
元明月はこの時期に生まれたとみられ、幼くして両親を失ったことになる。

兄弟たちは幼少だったため死罪を免れ、
のちに胡太后が政権を握ると元愉の子供たちは宗室籍への復帰を許された。
元愉も臨洮王として追封され、家族はようやく北魏皇族としての地位を取り戻した。

元明月の人生は、その出発点から北魏皇室内部の権力闘争と切り離せないものだった。

平原公主となった元明月

成長した元明月は平原公主に封じられた。

現行史料から元明月の日常生活や性格を詳しく知ることはできないが、
『北斉書』には彼女が一度結婚し、その後に夫を失って「寡居」していたことが記されている。
この記録は、元明月が最初から孝武帝の宮廷にいた未婚女性だったわけではないことを示している。

孫騰と封隆之をめぐる再婚問題

寡婦となった元明月をめぐって、北魏末期の有力者である孫騰と封隆之が関係する事件が起きた。

『北斉書』孫騰伝によれば、孫騰は平原公主との結婚を望んだが、元明月はこれを受け入れなかった。一方、当時妻のいなかった侍中・封隆之については、元明月の側が結婚を望んだという。

これを知った孫騰は封隆之を妬み、両者の関係は悪化した。
単なる恋愛逸話というより、孫騰と封隆之はいずれも北魏末期の政局に関わる有力官僚であり、
元明月の再婚問題が宮廷内の人間関係にも影響したことを示す記録である。

元明月について「多くの人物から求婚された」と漠然と説明するより、史料上確認できるのは、
孫騰が結婚を望んだこと、元明月が拒否したこと、
そして元明月自身は封隆之との結婚を望んだ
という具体的な経緯である。

孝武帝・元脩との関係

北魏末期、元明月は孝武帝・元脩と深い関係を持つようになった。

『北史』は孝武帝について、
洛陽にいたころ「従妹」にあたる未婚の皇族女性三人を公主に封じ、近くに置いていたと記す。

その三人として挙げられるのが、

・平原公主 元明月
・安徳公主
・元蒺藜

である。

この記述から、孝武帝と元明月らの関係は後世に美化された宮廷恋愛というより、
当時の史家から皇帝の「閨門無礼」、
すなわち皇族女性との不適切な関係として批判的に記録されたことがわかる。

ただし、『北史』が元明月を孝武帝の「従妹」とする点には注意が必要である。
元明月の父・元愉は508年に死亡している一方、孝武帝・元脩は510年生まれであるため、
元明月が元脩より年下の「妹」であったとは考えにくい。
系譜上は元愉と元脩の父・元懐が兄弟であるため両者は従姉弟にあたり、
元明月の方が年長だった可能性が高い。

↓↓北魏皇族・安徳公主についての個別記事は、こちら

【北魏】安徳公主|北魏皇族が見た王朝崩壊と北斉宮廷の狂気
安徳公主(あんとくこうしゅ)は、孝文帝の孫で清河王元懌の娘にあたる北魏の公主。孝武帝の愛人となり、北魏分裂後も東魏に残って北斉成立まで生きた。父・元懌の政変による死、孝武帝との関係、542年の造像記、甥・孝静帝の廃位、文宣帝・高洋から受けた凄惨な凌辱まで、元氏皇族の没落と重なる生涯を史料からたどる。

「明月」を詠んだ宴席の逸話

『北史』には、孝武帝が宮中の宴で女性たちに詩を詠ませた際の印象的な逸話も残されている。

その席で鮑照の楽府にある「明月」という言葉を含む句が詠まれたという。
元明月の名と重なるため、史書はこの逸話を孝武帝と元明月の関係を暗示するものとして記している。

ただし、こうした記述は孝武帝の私生活を批判する文脈のなかに置かれている。
元明月自身がどのように孝武帝との関係を受け止めていたのかを伝える史料は残っていないため、
「元明月が孝武帝を愛していた」といったところまで断定することはできない。

高歓との対立と洛陽脱出

孝武帝の治世には、北魏の実権を握った高歓との対立が深刻化していた。

孝武帝は高歓の傀儡となることを嫌い、斛斯椿らを用いて独自の権力基盤を築こうとした。
両者の対立はやがて軍事衝突寸前にまで発展し、534年、孝武帝は洛陽を離れて関中へ向かった。

関中では宇文泰が勢力を伸ばしており、
孝武帝は宇文泰を頼ることで高歓に対抗しようとしたのである。

↓↓南北朝後期の二大権力者高歓・宇文泰についての個別記事は、こちら

【東魏】高歓|北魏を掌握し東魏・北斉へと繋がる基礎を築いた実力者
高歓(こうかん)は、北魏末期の動乱の中で台頭し、東魏の実権を掌握した軍事指導者。六鎮の乱を生き抜き、爾朱栄の配下から六鎮兵を掌握して独立、韓陵の戦いで爾朱氏を打倒した。孝武帝との決裂と東魏成立、宇文泰との沙苑・邙山・玉壁での激戦、侯景の離反を見抜いた最期まで、北斉の基盤を築いたその生涯と実像を解説する。
【西魏】宇文泰|西魏を支配し隋唐の基礎を築いた軍事政治家
宇文泰(うぶんたい)は、北魏末の混乱から台頭し、孝武帝を長安へ迎えて高歓と対峙、西魏三代の実権を握った軍事政治家。沙苑で東魏軍を破り、蘇綽を登用して国家再建を進め、府兵制につながる軍制、八柱国・十二大将軍、六官制を整えた。蜀・江陵への領土拡大、関隴集団の形成、宇文護への政権継承まで、北周を経て隋唐へつながった宇文泰の生涯と政治・軍事改革を史書から詳しく解説する。

元明月も孝武帝とともに関中へ

この洛陽脱出に元明月も同行した。
『北史』は孝武帝が「明月を入関させた」と記し、
『資治通鑑』も平原公主明月が孝武帝に従って関中へ入ったことを明記している。

現行史料から「多くの女性を置き去りにして元明月だけを連れて行った」
とまで断定する必要はないが、少なくとも元明月が孝武帝とともに洛陽を離れ、
長安方面へ向かったことは確認できる。

一方、元蒺藜は孝武帝が元明月を連れて関中へ入った後、自ら命を絶ったと『北史』に記されている。

北魏分裂と宇文泰との対立

孝武帝が関中へ移ったことで、北魏は事実上二つに分裂した。

高歓は孝武帝を追って西へ進んだものの最終的には洛陽方面へ戻り、
同年10月、元善見を皇帝として擁立して都を鄴へ移した。これが東魏である。

一方、長安に入った孝武帝は宇文泰の軍事力に依存することになった。

高歓から離れれば自由な皇帝になれるわけではなかった。
孝武帝は皇帝として自ら政治を行おうとしたのに対し、
宇文泰は関中軍閥の指導者として強大な実権を握っていたため、両者の関係は急速に悪化していく。

元明月は、この新たな権力闘争のなかに置かれることになった。

宇文泰による元明月の殺害

534年、宇文泰は元明月を排除した。

『北史』は簡潔に「宇文泰使元氏諸王取明月殺之」と記している。
つまり宇文泰が元氏の諸王に命じ、元明月を連れ出して殺害させたということである。
『資治通鑑』にもほぼ同様の記録が残されている。

このため、宇文泰が元明月殺害を命じたこと自体は史料上明確である。

一方で、「兄の元宝炬が元明月を騙して呼び出した」「宇文泰の兵が直接殺害した」
という細部までは、『北史』『資治通鑑』の本文から確認できない。
「元氏諸王」のなかに兄・元宝炬が含まれていた可能性はあるものの、
主要史料の記述以上に具体化する場合には慎重さが必要である。

また、宇文泰が元明月を殺した理由についても、
単に「皇帝の側近だったから」とだけ説明することはできない。

『資治通鑑』は孝武帝の皇族女性との関係を「閨門無礼」と記したうえで元明月殺害を記しており、
孝武帝の私生活に対する宇文泰側の反発と、
皇帝をめぐる政治的対立が重なっていたと考えるのが妥当である。

元明月の死に激怒した孝武帝

元明月の殺害は、孝武帝と宇文泰の関係を決定的に悪化させた。

『北史』によれば、元明月を殺された孝武帝は激しく不満を抱き、
ときには弓を引き、ときには机を押し倒すほど怒りを露わにしたという。
その結果、「君臣これより安からず」と記される状態になった。

『資治通鑑』も、元明月の殺害によって孝武帝と宇文泰の間に再び亀裂が生じたとしている。

元明月の死は一人の公主の殺害にとどまらず、
関中へ移った孝武帝が宇文泰の支配から自由ではないことを明確に示す事件でもあった。

孝武帝も間もなく死亡

元明月が殺害された同年閏12月、孝武帝も急死した。

『北史』は孝武帝が酒を飲んだ後に毒にあたって死亡したと記し、『資治通鑑』も同様に伝える。
宇文泰による毒殺とみる伝統的な理解がある一方、
史料の記述から事件の具体的経過を完全に復元できるわけではないため、
宇文泰自身が直接毒殺を実行したとまで断定する場合には注意が必要である。

孝武帝の死後、宇文泰は新たな皇帝を選ぶことになった。
そして擁立されたのが、元明月の兄で南陽王だった元宝炬である。

535年、元宝炬は西魏の皇帝として即位し、文帝となった。
これによって北魏は東魏と西魏へ完全に分裂し、北魏王朝そのものは終焉を迎える。

皮肉にも、宇文泰によって殺された元明月の兄が、
その宇文泰によって新たな皇帝として擁立されたのである。

元明月の実像

元明月は、後世の物語では孝武帝に寵愛された悲劇の美女として語られやすい。
しかし史料から確認できる彼女の人生は、それだけではない。

父・元愉の反乱によって幼くして両親を失い、
北魏皇族として復権した後には平原公主となり、一度は結婚して寡婦となった。
その後、孫騰から求婚されながら拒絶し、自らは封隆之との結婚を望んだと『北斉書』は伝える。
さらに孝武帝との関係を持ち、534年には皇帝とともに関中へ入り、
最後は宇文泰の命令によって殺された。

ただし、元明月自身の言葉はほとんど史書に残されていない。

孫騰との結婚を拒んだことや封隆之との結婚を望んだことからは、
少なくとも再婚相手について本人の意思が存在したことがうかがえる。
一方、孝武帝との関係については、史書が皇帝側の行動を中心に記しているため、
元明月本人の意思を知ることはできない。

そのため、元明月を単純に「孝武帝が愛した美女」とだけ捉えると、
彼女の生涯の重要な部分を見失う。

まとめ

元明月は、北魏孝文帝の孫、京兆王元愉の娘として生まれ、のちに平原公主となった皇族女性である。

父の反乱と両親の死によって幼少期から政争の影響を受け、
一度の結婚と死別を経た後、孫騰と封隆之をめぐる再婚問題にも登場する。
その後は孝武帝・元脩と深い関係を持ち、
534年には高歓との対立から洛陽を脱出した孝武帝に従って関中へ入った。

しかし孝武帝と宇文泰の関係が悪化するなか、宇文泰は元氏諸王に命じて元明月を殺害させた。
彼女の死に孝武帝は激怒し、両者の対立はいっそう深刻となる。
その直後に孝武帝も死亡し、元明月の兄・元宝炬が西魏文帝として擁立された。

元明月の生涯には、元愉の反乱、北魏宗室の混乱、孝武帝と高歓の対立、洛陽脱出、
宇文泰の台頭、北魏の東西分裂という時代の激変が重なっている。

「悲劇の公主」というだけでなく、北魏末期に皇帝と権臣の対立へ巻き込まれ、
その死さえ政治関係を動かす一因となった皇族女性として見ることで、
元明月の歴史的位置はより明確になる。

お薦め商品

【お薦め】中国史がテーマのマンガ・小説・書籍
中国史をテーマにしたおすすめのマンガ・小説・書籍を紹介。『キングダム』や『三国志』だけでなく、歴代王朝の興亡や英雄たちの活躍、宮廷の権力争いを描いた作品など、中国史の魅力を楽しめる一冊を探せる。

史書・参考文献

・『北史』巻5「魏本紀第五・孝武帝紀」
・『北史』巻22「魏孝文六王伝・京兆王元愉伝」
・『北斉書』巻18「孫騰伝」
・『資治通鑑』巻157
・『魏書』「京兆王元愉伝」
・楊奥妃墓誌

関連リンク

中国史の皇族・王族一覧|皇子・親王・諸侯王など歴代王朝の人物を紹介 | 趣味の中国
中国史の軍師・策士一覧|知略で天下を動かした有名な軍師たち | 趣味の中国
中国史の政治家・文官一覧|宰相・名臣・奸臣など歴代王朝の人物 | 趣味の中国
中国史の権臣一覧|皇帝を凌ぐ権力を握った有名な実力者たち | 趣味の中国
中国史の皇后一覧|中国王朝を動かした有名な皇后たち | 趣味の中国
中国史の妃嬪一覧|歴代皇帝の有名な妃・貴妃・皇貴妃を時代別に紹介 | 趣味の中国
中国史の公主一覧|歴史に名を残した王女たちをわかりやすく紹介 | 趣味の中国
中国史の美女一覧|時代別まとめ(四大美女・傾国・亡国・悲劇の美人) | 趣味の中国
中国史の美男一覧|中国四大美男と歴史に残るイケメン人物 | 趣味の中国
中国史の武将一覧|歴史に名を残した猛将・知将・名将たち | 趣味の中国
中国史の女傑一覧|戦場・反乱で活躍した女性たちを時代別に紹介 | 趣味の中国
中国史の文人・学者一覧|有名な詩人・思想家・歴史家・書家 | 趣味の中国
中国史の才女一覧|才や徳で有名な女性たちの生涯と特徴を解説 | 趣味の中国
中国の宦官とは?有名な宦官、王朝ごとの役職・階級、宦官による機関など | 趣味の中国