福康公主は、北宋の皇帝宋仁宗の長女である。
彼女は、父に溺愛され、宮廷でも特別扱いされて
極めて強い自意識を持って育ったとされる。
その結果、制度や他者を軽視する性格が形成されていった。
結婚|李瑋との婚姻と「夫を家奴扱い」
宋王朝では外戚の台頭を強く警戒しており、
あえて権力基盤を持たない人物が選ばれる傾向にあった。
福康公主は、政治的に安全な存在であった李氏一族の李瑋に嫁ぐ。
しかしこの結婚は最初から破綻していた。
・李瑋は貧民出身
・容貌は醜く、性格は朴訥
・芸術(画)には優れていた
公主は彼を「夫ではなく家奴」と見なし、
さらに、乳母の韓氏など下人たちも李瑋を侮辱・冷遇するという
家全体で駙馬をいじめる構図が出来上がっていた。
逸話①|美少年宦官・梁懐吉への寵愛
夫を拒絶した福康公主は、
美少年の宦官・梁懐吉を寵愛するようになる。
これは単なる慰めではなく、
夫の完全否定の象徴的行動だった。
逸話②|覗き見事件と暴力
嘉祐5年(1060年)、
・公主と梁懐吉が酒宴
・李瑋の母・楊氏がそれを覗き見る
すると公主は激怒し、楊氏を殴り倒す。
さらに、真夜中に宮門を開かせて皇帝に直訴という異常行動に出る。
普通なら即処罰レベルの異常行動に出る。
逸話③|下人処分と公主の暴走
この事件に対し、
・司馬光ら官員が介入
・乳母・韓氏ら下人を追放
・梁懐吉も左遷
となる。
しかし公主は納得しない。
・放火をほのめかす
・自殺を示唆
・梁懐吉の復帰を強要
結果、仁宗は折れて梁懐吉を呼び戻すに至った。
逸話④|母・苗氏の「婿殺害計画」
事態はさらに異常化する。
公主の母・苗氏は、娘のために李瑋を排除しようと
宦官を送り込みスパイさせて罪を探させたが、李瑋は慎ましく問題なし。
するとついに、毒殺を計画したのである。
これは曹皇后によって止められ、幸い未遂に終わった。
※苗氏については、明確な処罰を受けた記録は残っていない。
これは彼女が皇帝の寵妃という立場にあったこと、
また事件自体が宮廷内の問題として内々に処理されたためと考えられる。
結末|離婚と降格
最終的に、公主は降格し、李瑋と離婚、という形で決着する。
一連の騒動により離婚・降格という結末を迎えた福康公主であったが、
その後まもなく体調を崩し、約6年後の1066年に病没した。
激しい感情の起伏と生活の混乱が、彼女の心身に大きな負担を与えていたのかもしれない。
史書・参考文献
・『宋史』公主伝(福康公主伝)
・『続資治通鑑長編』
・『資治通鑑』宋紀
・北宋期史料
・司馬光ほか編年史料

