2026-09

01.皇后

【魏】曹節|曹操の娘として生まれ、後漢最後の皇后となった女性

曹節(そうせつ)は曹操の娘で、後漢最後の皇帝・献帝の皇后となった女性である。姉妹の曹憲・曹華とともに献帝の後宮へ入り、伏皇后の死後に皇后となった。曹丕への禅譲で璽綬の引き渡しを拒んだ『後漢書』の逸話から、山陽公夫人となった晩年、死後の献帝との合葬までを紹介する。
01.皇后

【呉】呉夫人|孫策・孫権の母となった孫堅の妻・武烈皇后

呉夫人(ごふじん)は、後漢末期の武将・孫堅の正妻で、孫策・孫権・孫翊・孫匡の母。呉郡の出身で、孫堅との結婚を一族に反対されながらも自ら縁談を受け入れた。夫の戦死後は孫氏一族を支え、孫策が処刑しようとした魏騰を救い、孫権には王晟の助命を求めた。孫策と曹操の人質問題にも関わり、202年に死去。孫権の皇帝即位後、武烈皇后に追尊されるまでの生涯をたどる。
01.皇后

【魏】卞夫人(武宣皇后)|曹操の正室・曹丕や曹植らの母となった賢后の生涯

卞夫人(べんふじん/武宣皇后)は、曹操の妻であり、曹丕・曹植らの母として魏建国を支えた女性である。歌妓時代、丁夫人との関係、質素倹約の逸話、曹洪助命事件、人物像まで史実ベースで詳しく解説する。
01.皇后

【魏】郭女王|曹丕を支えた魏初代皇后と甄夫人との確執

郭女王(郭皇后)は曹丕の寵愛を受け、魏の初代皇后となった女性である。没落した家から皇后へ上った生涯、甄夫人の賜死への関与説、曹叡との複雑な関係、子のない皇后としての立場、曹丕死後の皇太后時代と最期まで、『三国志』をもとに悪女説と史実の違いを詳しく解説する。
05.才女

【魏】辛憲英|三国時代を代表する才女と高平陵の変を見抜いた女性

辛憲英(しん けんえい)は、三国時代の魏で活躍した才女である。高平陵の変での助言、鍾会の野心を見抜いた逸話、羊祜との関係、質素倹約の人物像などを、正史『三国志』『晋書』をもとに詳しく解説する。
01.皇后

【唐】王皇后|武則天に敗れた皇后の宮廷悲劇

王皇后(おうこうごう)は唐高宗・李治の正妻から皇后となった女性である。子がないまま蕭淑妃と寵愛を争い、対抗するため武則天を後宮へ迎えたと伝わるが、やがて武則天と対立。皇女死亡事件や厭勝事件、長孫無忌ら元老の反対を経て廃后となり、蕭淑妃とともに殺害された。その生涯と武則天台頭の経緯を史書から詳しく解説する。
02.妃賓

【南朝陳】張麗華|『玉樹後庭花』に象徴された傾国の美女

張麗華(ちょうれいか)は南朝陳の後主・陳叔宝に寵愛された貴妃である。侍女から後宮で地位を高め、聡明さと優れた記憶力で政務にも影響したと史書に記される。589年に隋軍が建康を攻略すると陳叔宝・孔貴嬪と井戸へ隠れて捕らえられ、のち処刑された。二人の皇子、政治への関与、後世の「傾国の美女」像まで詳しく解説する。
05.才女

【呉】趙夫人|孫権に仕え「呉の三絶」で名を残した伝説の才女

趙夫人(ちょうふじん)は、三国時代の呉で孫権に仕え、絵画・刺繍・機織りに類まれな才能を発揮した女性。「呉の三絶」と称された機絶・針絶・絲絶の技、山川や軍陣を刺繍で描いた地図、風を通す不思議な幔幕の逸話から、孫権の寵愛を受けながらも後宮の中傷によって失脚した生涯までをたどる。
01.皇后

【北魏】馮太后|北魏の実権を握った文明太后の生涯と孝文帝改革

馮太后(ふうたいごう)は、北魏の文成帝の皇后となり、献文帝・孝文帝の二代にわたって実権を握った文明太后。乙渾の排除、寵臣李奕をめぐる献文帝との対立と毒殺疑惑、李訢らの粛清、孝文帝の養育と摂政政治、俸禄制・均田制・三長制の導入など、宮廷の権力闘争と北魏の国家体制を変えた改革、晩年までの生涯を紹介する。
03.公主

【呉】孫魯班|二宮事件を主導した呉最大の権力者・全公主の生涯

孫魯班(そんろはん/全公主)は孫権と歩練師の長女であり、二宮事件で孫覇派の中心人物として活動した呉の公主である。周循・全琮との結婚、王夫人への讒言、孫和失脚工作、孫魯育誅殺、孫亮政権での権勢、失脚とその後までを史実をもとに詳しく解説する。