許広漢|死罪寸前から皇帝の外戚へと上りつめた“波乱の宦官”

前漢の宦官 許広漢 024.宦官

許広漢は、若い頃に罪を犯して宮刑を受けた宦官だったが、
のちに娘・許平君が宣帝の皇后となり、
元帝(劉奭)の外祖父として列侯に封じられたという、
珍しい“どん底からの大逆転”を遂げた人物である。

許広漢とは

  • 宮刑により宦官となる

  • 前漢の宣帝の皇后・許平君の父

  • 前漢の元帝(劉奭)の外祖父

  • 平恩侯に封じられ、位特進となる

若き日の罪と宮刑

鞍の取り違えで“死罪寸前”に

若い頃、昌邑王・劉髆に仕える郎(近侍)だった許広漢は、
武帝の甘泉行幸に随行した際、
他人の鞍を誤って自分の馬に付けたことを「盗み」と弾劾され、死罪に直面した。

死罪を免れるため、許広漢は自ら宮刑を願い出て宦官となった。
ここから、彼の波乱の人生が始まる。

宮中での苦難と再起

宦者丞となるが、再び罪で失脚

宦官として昇進し宦者丞となったが、
上官桀の反乱の際、証拠品を見つけられなかったことが罪とされ、
刑徒に落とされ掖庭(後宮の雑役)へ送られた。

掖庭で“未来の皇帝”と同居

この掖庭には、かつての皇太子・劉拠の孫である 劉病已(のちの宣帝)が幽閉されていた。
許広漢は彼と同じ官舎に住み、ここで運命的な縁が生まれる。

許平君と劉病已の結婚

張賀の仲介で劉病已の妻に

許広漢の娘・許平君は14〜15歳の頃、 占いで「大いに尊くなる相」と言われていた。

掖庭令・張賀は劉病已を厚遇しており、 許広漢に「娘を劉病已に嫁がせるべきだ」と勧めた。 母は反対したが、許広漢はこれを承諾し、 許平君は劉病已の妻となった。

元帝(劉奭)の誕生

結婚から1年後、許平君は男児・劉奭(のちの元帝)を出産。
これが許広漢の人生を大きく変えることになる。

宣帝即位と許平君の皇后就任

昌邑王劉賀の廃位後、劉病已が皇帝に

昭帝の死後、昌邑王・劉賀が即位するもすぐに廃位され、
劉病已が皇帝(宣帝)に擁立された。

許平君が皇后に

大臣たちは霍光の娘が皇后になると考えていたが、
宣帝は「昔の剣を探せ」と暗示を出し、 許平君を皇后に立てる意思を示した。

こうして許平君は皇后となり、許広漢は皇后の父となった。

外戚としての出世

孫・劉奭が皇太子に

霍光は「許広漢は罪人である」として列侯を拒んだが、
昌成君の号を与えられた。

許平君の子・劉奭が皇太子に立てられると、
許広漢はついに平恩侯に封じられ、位特進となった。

これは宦官としては異例の大出世だった。

晩年と最期

紀元前61年、死去

許広漢は紀元前61年に死去し、 戴侯の諡号を贈られた。

後継者はおらず国は断絶

直系の後継者はおらず国は一度断絶したが、
のちに弟・許延寿の子である許嘉が後を継いだ。

歴史的評価

“悪名”ではなく“幸運と縁”の象徴

石顕や趙高のような悪名高い宦官とは異なり、
許広漢は政治腐敗に関与した記録はほとんどない。 むしろ、

 ・宮刑からの再起

 ・掖庭で未来の皇帝と出会う

 ・娘が皇后、孫が皇帝

という“幸運と縁”に満ちた人物として描かれる。

宦官としては異例の外戚

宦官は子を持てないため外戚になれないのが通常だが、
許広漢は娘を通じて外戚となり、 前漢史でも極めて珍しい存在となった。

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