034.政治家・文官

【南宋】虞允文|采石磯の戦いで金軍を破り、宰相となった文官の生涯

虞允文(ぐいんぶん)は、金の海陵王・完顔亮による南侵を1161年の采石磯の戦いで阻止した南宋の文官。45歳で科挙に合格し、敗走した宋軍を立て直して水軍を指揮した。戦後は湯思退と領土割譲をめぐって対立し、四川の軍備改革や人材登用を進めて宰相に昇進。北伐を準備しながら1174年に病死するまでの生涯をたどる。
034.政治家・文官

【北宋】蔡京|六賊筆頭の実像と北宋滅亡の原因

蔡京(さいけい)は北宋徽宗期に長く宰相を務め、後世「六賊の筆頭」とされた政治家である。王安石の新法を継承して元祐党人を排斥し、元祐党籍碑を建立。童貫らと権力を握り、花石綱などで民衆の負担を増大させた。方臘の乱、度重なる失脚と復帰、靖康前夜の流刑と死まで、北宋末の政治と滅亡との関係を史料から詳しく解説する。
034.政治家・文官

【南宋】秦檜|岳飛を処刑に追い込んだ宰相と紹興の和議、権力独占の生涯

南宋の政治家・秦檜(しんかい)は「奸臣」の代名詞とも言われる存在である。しかし史実や政策を見直すと評価は単純ではない。彼の実像と影響をわかりやすく解説する。
033.武将

【唐】封常清|西域を支えた名将と冤罪の最期

封常清(ほうじょうせい)は高仙芝に見出され、西域で軍功を重ねて安西節度使に上った唐の名将である。安史の乱では洛陽防衛を命じられ、安禄山軍に敗れて潼関へ撤退し高仙芝と防衛を図った。しかし宦官・辺令誠の告発を受け、玄宗の勅命により高仙芝に先立って処刑された。貧しい出自から出世した生涯と最期を詳しく解説する。
033.武将

【魏】曹真|曹操に養育され、曹魏三代の軍事を支えた大司馬

曹真(そうしん)は曹操に養育され、曹丕・曹叡に重用された魏の武将である。虎豹騎を率いた若き日から、諸葛亮の北伐と陳倉防衛、蜀漢遠征、大司馬への昇進、曹爽ら子供たちのその後まで、正史『三国志』をもとに生涯と人物像を紹介する。
033.武将

【魏】秦朗|曹操の連れ子から明帝の側近となった驍騎将軍

秦朗(しんろう)は呂布配下・秦宜禄と杜氏の子で、母が曹操の側室となったことで曹操に養育された。曹叡の即位後は驍騎将軍・給事中として寵愛され、鮮卑の歩度根・軻比能を討伐。明帝晩年には輔政候補となりながら失脚した生涯を、正史『三国志』をもとに詳しく解説する。
033.武将

【魏】曹彰|猛獣を素手で倒し、異民族を屈服させた曹操の「黄鬚児」

曹彰(そうしょう)は曹操と卞夫人の子で、曹丕・曹植の兄弟にあたる魏の武将である。「黄鬚児」と呼ばれ武勇を曹操に評価された曹彰は、代郡の烏桓反乱を鎮圧し北方で活躍した。曹操との親子関係、曹丕即位後の立場、223年の急死と毒殺説、猛獣を素手で倒した逸話まで、正史『三国志』をもとにその生涯と人物像を詳しく解説する。
033.武将

【北周】宇文憲|最盛期を支えた『周書』で「智勇冠世」と称えられた名将

宇文憲(うぶんけん)は、北周の実力者・宇文泰の子で、武帝・宇文邕の異母弟。宇文護のもとで軍功を重ね、北斉との戦いでは斛律光や高長恭らと対峙し、武帝による華北統一を支えた名将だった。しかし北斉滅亡後、その名声と軍事的力量を警戒され、宣帝・宇文贇の即位直後に粛清される。北周屈指の皇族武将・宇文憲の生涯と功績、悲劇的な最期まで詳しく紹介。
033.武将

【北斉】段韶|国家を支え続けた名臣 忠武王の生涯

段韶(だんしょう)は高歓の甥として東魏創業期から軍事中枢を担い、韓陵の戦い、玉壁攻撃、侯景の乱後の晋陽防衛、南朝梁との戦いで活躍した北斉屈指の名将。高歓から軍国の大事を託され、563~564年には突厥・北周軍から晋陽を守り、洛陽救援では高長恭・斛律光とともに宇文護の大軍を撃破した。晩年も柏谷・姚襄・定陽で北周軍を破り、病を押して最後まで軍略を授けた段韶の生涯、戦歴、統率力、忠武の諡号を得た最期まで『北斉書』『北史』『資治通鑑』から詳しく解説する。
033.武将

【呉】孫堅|「江東の虎」と呼ばれた孫呉の礎を築いた名将

孫堅(そんけん)は後漢末期の武将で、孫策・孫権の父にあたる。若き日の海賊退治、許昌の乱や黄巾の乱の鎮圧、涼州反乱での董卓との対立、長沙太守としての区星討伐、反董卓連合への参加、陽人の戦いでの華雄斬首、洛陽入城と陵墓修復、袁術との関係、劉表配下の黄祖との戦いでの戦死、死後に武烈皇帝と追尊されるまでの生涯をたどる。