五侯(ごこう)とは、
単超・徐璜・具瑗・左悺・唐衡 の五名の宦官を指す呼称で、
桓帝(劉志)の時代に外戚・梁冀を誅滅した功績により侯に封じられた。
この事件は、後漢政治の構造を大きく変え、
「外戚の時代 → 宦官の時代」への転換点となった。
五侯とは
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単超(ぜんちょう)、徐璜(じょこう)、具瑗(ぐえん)、
左悺(さかん)、唐衡(とうこう) -
桓帝に仕え、外戚・梁冀の誅殺に成功
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その功績で全員が侯に封じられる
梁冀の専横と桓帝の苦境
梁冀が朝廷を支配
桓帝(劉志)が即位した当時、朝廷は 外戚・梁冀が完全に支配していた。
梁冀は、皇帝の廃立、賄賂政治、政敵の粛清 を繰り返し、
皇帝すら圧迫する独裁者だった。
梁冀の暴政は史書でも「跋扈将軍」と記される。
桓帝は宦官に救いを求める
若い桓帝は梁冀に逆らえず、 密かに宮中の宦官たちへ助力を求めた。
その中心となったのが、後に「五侯」と呼ばれる五名である。
梁冀誅殺のクーデター
宮中の宦官たちが決起
建和2年(147年)、桓帝と宦官たちは密かに計画を立て、
梁冀の邸宅を包囲し、誅殺した。
このクーデターは後漢史の大事件であり、
外戚政治の終焉を告げる瞬間だった。
五名の宦官が侯に封じられる
功績を称え、桓帝は、
単超、徐璜、具瑗、左悺、唐衡 を侯に封じた。
これが「五侯」である。
五侯の栄光と腐敗
単超の死後、五侯は堕落
五侯の中でも最も人格者とされたのは単超で、
彼の死後、残る四名は、賄賂、私腹を肥やす、官吏の売買
などに手を染め、急速に腐敗した。
宦官政治の前例ができる
五侯の存在は、「宦官でも外戚を倒し、侯に封じられる」 という前例を作り、
後漢政治における宦官の地位を飛躍的に高めた。
五侯の失脚と新たな宦官勢力の台頭
五侯はやがて失脚
腐敗が進んだ五侯は、桓帝の後半期に次々と失脚した。
しかし、彼らが作った“宦官の権力基盤”は残り続けた。
霊帝期には新たな宦官勢力が台頭
五侯の後、侯覧、曹節、王甫 といった新たな宦官勢力が台頭し、
党錮の禁で宦官派が完全勝利。
その後、 十常侍の時代(宦官専横の極致) へとつながっていく。
歴史的評価
五侯の功績
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梁冀という後漢最大の外戚を誅滅
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桓帝の親政を実現
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外戚政治の終焉をもたらした
五侯の負の遺産
五侯は、 「外戚政治を終わらせた英雄」でもあり、 「宦官政治を始めた元凶」でもある
という二面性を持つ存在である。

