中国史

01.皇后

【呉】呉夫人|孫策・孫権の母となった孫堅の妻・武烈皇后

呉夫人(ごふじん)は、後漢末期の武将・孫堅の正妻で、孫策・孫権・孫翊・孫匡の母。呉郡の出身で、孫堅との結婚を一族に反対されながらも自ら縁談を受け入れた。夫の戦死後は孫氏一族を支え、孫策が処刑しようとした魏騰を救い、孫権には王晟の助命を求めた。孫策と曹操の人質問題にも関わり、202年に死去。孫権の皇帝即位後、武烈皇后に追尊されるまでの生涯をたどる。
01.皇后

【唐】王皇后|武則天に敗れた皇后の宮廷悲劇

王皇后(おうこうごう)は唐高宗・李治の正妻から皇后となった女性である。子がないまま蕭淑妃と寵愛を争い、対抗するため武則天を後宮へ迎えたと伝わるが、やがて武則天と対立。皇女死亡事件や厭勝事件、長孫無忌ら元老の反対を経て廃后となり、蕭淑妃とともに殺害された。その生涯と武則天台頭の経緯を史書から詳しく解説する。
01.皇后

【北魏】馮太后|北魏の実権を握った文明太后の生涯と孝文帝改革

馮太后(ふうたいごう)は、北魏の文成帝の皇后となり、献文帝・孝文帝の二代にわたって実権を握った文明太后。乙渾の排除、寵臣李奕をめぐる献文帝との対立と毒殺疑惑、李訢らの粛清、孝文帝の養育と摂政政治、俸禄制・均田制・三長制の導入など、宮廷の権力闘争と北魏の国家体制を変えた改革、晩年までの生涯を紹介する。
02.妃賓

【南朝陳】張麗華|『玉樹後庭花』に象徴された傾国の美女

張麗華(ちょうれいか)は南朝陳の後主・陳叔宝に寵愛された貴妃である。侍女から後宮で地位を高め、聡明さと優れた記憶力で政務にも影響したと史書に記される。589年に隋軍が建康を攻略すると陳叔宝・孔貴嬪と井戸へ隠れて捕らえられ、のち処刑された。二人の皇子、政治への関与、後世の「傾国の美女」像まで詳しく解説する。
01.皇后

【魏】曹節|曹操の娘として生まれ、後漢最後の皇后となった女性

曹節(そうせつ)は曹操の娘で、後漢最後の皇帝・献帝の皇后となった女性である。姉妹の曹憲・曹華とともに献帝の後宮へ入り、伏皇后の死後に皇后となった。曹丕への禅譲で璽綬の引き渡しを拒んだ『後漢書』の逸話から、山陽公夫人となった晩年、死後の献帝との合葬までを紹介する。
05.才女

【魏】辛憲英|三国時代を代表する才女と高平陵の変を見抜いた女性

辛憲英(しん けんえい)は、三国時代の魏で活躍した才女である。高平陵の変での助言、鍾会の野心を見抜いた逸話、羊祜との関係、質素倹約の人物像などを、正史『三国志』『晋書』をもとに詳しく解説する。
01.皇后

【元】奇皇后|高麗出身の貢女から元の皇后へ上り詰めた女性の生涯

奇皇后(きこうごう)は高麗出身で元の順帝の皇后となり、宮廷で大きな影響力を持った女性である。高麗と元の政治関係にも関わり、実権を握った皇后として知られる。その生涯と権力の背景を解説する。
05.才女

【唐】上官婉児|罪人の孫娘から「女宰相」へ、武則天と中宗に仕えた才女

上官婉児(じょうかんえんじ)は祖父・上官儀の処刑で母とともに掖庭へ入り、武則天に才能を認められ詔勅を担った唐代の才女である。中宗復位後は昭容となり、韋皇后・武三思・太平公主らが争う宮廷政治に関与。詩壇や修文館にも影響を与えたが、710年の唐隆政変で李隆基に処刑された。墓誌から判明した実像まで詳しく解説する。
05.才女

【蜀】黄月英|諸葛亮を支えた才女と“知性の良妻”

黄月英(こうげつえい)は、三国時代の蜀漢の軍師・諸葛亮の妻として知られる女性。黄承彦の娘として諸葛亮に嫁いだ経緯や、「醜女」と呼ばれた容姿の逸話、荊州の名士一族とのつながり、木牛流馬の発明や木偶人形にまつわる伝説、諸葛亮との夫婦関係を通じて、史書に残る姿と後世に形成された才女像をたどる。
03.公主

【唐】高陽公主|僧侶との密通と房遺愛謀反事件で破滅した李世民の娘

高陽公主(こうようこうしゅ)は唐太宗・李世民の娘で、宰相・房玄齢の子である房遺愛に嫁いだ皇女である。僧・辯機との密通と太宗による処刑、父帝との対立、房遺愛らが関与した謀反事件、653年に賜死された最期まで、『旧唐書』『新唐書』『資治通鑑』をもとにその生涯と事件の実像を詳しく解説する。