中国史

031.皇帝

朱允炆(建文帝)|明朝第2代皇帝の生涯と靖難の変、南京陥落後の行方

朱允炆(しゅいんぶん/建文帝)の生涯を史書に基づいて解説。洪武帝の孫として皇太孫に冊立され、明朝第2代皇帝に即位した朱允炆は、黄子澄・斉泰・方孝孺を重用して建文新政と削藩を進めた。しかし、叔父の燕王朱棣が靖難の変を起こし、1402年に南京が陥落。宮中の火災後に消息を絶った建文帝の焼死説と僧侶逃亡説、永楽帝による旧臣の粛清、後世の名誉回復までを史料からたどる。
034.政治家・文官

黄子澄|靖難の変における「君側の奸臣」の悲劇

黄子澄(こうしちょう)は、明の建文帝に仕え、斉泰とともに諸王の削藩を進めた重臣。燕王朱棣への対応をめぐって李景隆を推薦したが、靖難の変は建文帝側の敗北に終わった。南京陥落後も朱棣への抵抗を図って捕らえられ、屈服せず処刑された。「君側の奸臣」とされた黄子澄の生涯と最期をたどる。
034.文人・学者

宋濂|明初を支えた文臣・儒学者の生涯と思想

宋濂(そうれん)は、朱元璋に仕えて皇太子・朱標を教育し、『元史』編纂や明朝の礼制整備を担った「開国文臣之首」。貧しい修学時代、儒学者・文章家としての功績、朱元璋との逸話、胡惟庸の獄への連座、馬皇后と朱標に救われた最期まで史実から解説する。
032.軍師・策士

劉基(劉伯温)|諸葛亮に比肩 明朝創業を支えた軍師の実像と逸話

劉基(りゅうき/劉伯温)は、朱元璋に仕えて天下統一と明朝建国を支え、後世に諸葛亮と並び称された名臣。元末の官僚から朱元璋の参謀となった経緯、軍事・政治で果たした役割、胡惟庸との確執と謎を残す最期、著作と思想、『焼餅歌』に代表される予言者伝説まで、その生涯と実像をたどる。
033.武将

藍玉|北方遠征の功臣と「藍玉の獄」の実像

藍玉(らんぎょく)は、明初に常遇春の配下から大将軍へ上り、捕魚児海の戦いで北元に大勝した武将。四川・雲南・北方遠征での軍功、朱元璋との対立、謀反の真偽、一万五千人を巻き込んだ「藍玉の獄」、皮を剥がされ各地へ回されたという伝承まで史実と史料から解説する。
033.武将

徐達|明朝建国を支えた名将と“粛清を免れた理由”

徐達(じょたつ)は、朱元璋の挙兵初期から従い、陳友諒・張士誠との戦いを経て江南統一を支え、25万の北伐軍を率いて元の大都を攻略した明朝屈指の名将。常遇春と「徐常」と並び称され、魏国公に封じられた開国第一功臣である。北元の名将ココ・テムルとの攻防、厳格な軍紀と朱元璋からの信頼、洪武年間の功臣粛清を免れた背景、死因をめぐる「焼鵞」の逸話が史実なのかまで、その生涯と実像を詳しく解説する。
033.武将

常遇春|「常十万」と恐れられた明朝建国を支えた猛将の生涯

常遇春(じょうぐうしゅん)は、盗賊集団から朱元璋に帰順し、徐達と並んで明建国を支えた猛将。采石で敵陣へ飛び込み、鄱陽湖では張定辺を射て朱元璋を救い、張士誠討伐、元の大都攻略、太原・開平への北伐でも活躍した。「常十万」の異名の由来、降伏兵を殺害した苛烈な一面、徐達との違い、40歳で急死して開平王に追封された最期まで史実から詳しく解説する。
033.武将

李文忠|朱元璋の外甥にして明建国を支えた将軍の生涯

李文忠(りぶんちゅう)は朱元璋の外甥として若くから軍を率い、張士誠との江南統一戦や北元遠征で活躍した明建国の功臣。応昌を急襲して北元皇子らを捕らえ、曹国公に封じられた。徐達・常遇春と並ぶ軍功、辺境統治や水利整備、朱元璋への諫言、46歳で迎えた最期まで史実から解説する。
01.皇后

馬皇后|洪武帝・朱元璋を支えた明の賢后・孝慈高皇后

馬皇后(ばこうごう)は、明の初代皇帝・洪武帝朱元璋の正妻で、孝慈高皇后と諡された明朝最初の皇后。郭子興の養女として朱元璋と結婚し、元末の戦乱では軍衣や軍需を支え、明建国後は質素な生活を貫いた。苛烈な朱元璋をたびたび諫め、宋濂や李文忠らの処罰を思いとどまらせた「賢后」の生涯と政治的役割、皇子たちの生母をめぐる諸説まで史実から解説する。
034.政治家・文官

李善長|明朝建国を支えた宰相の実像と胡惟庸の獄

李善長(りぜんちょう)は、朱元璋の挙兵初期から仕え、軍糧・財政・法令・官制を整えて明朝建国を支えた宰相。功臣第一として韓国公に封じられた経歴、劉基との対立、胡惟庸との関係、謀反を知りながら告発しなかったとされた罪状、一族七十余人とともに処刑された最期まで史実から解説する。