南朝梁とは?蕭氏家系図と南朝文化の頂点

南朝梁・蕭家家系図 010.家系図

南北朝時代の南朝の国。首都は健康。
帝室の姓を冠し蕭梁(りゅうそう)とも呼ばれる。

魏晋南北朝は、王朝の分裂・推移が激しいため、以下略図にて補足する。

魏晋南北朝の王朝分裂・推移図
王朝の分裂・推移図

南朝梁:略家系図

南朝梁蕭氏家系図(蕭衍から)
南朝梁蕭氏家系図

南朝梁(502-557):皇帝一覧

 廟号 諡号名前(諱)生年-没年
(没年齢)
在位ー退位
(年齢)
 在位期間 
高祖武帝蕭衍しょう えん464-549
(86歳)
502-549
(38歳-86歳)
約47年
太宗簡文帝蕭綱しょう こう503-551
(49歳)
549-551
(46歳-49歳)
約2年
廃帝
(豫章王)
蕭棟しょう とう不詳551(不詳)数か月
世祖元帝蕭繹しょう えき508-554
(47歳)
552-554
(44歳-47歳)
約2年
(僭称)蕭紀しょう き508頃-553
(約45歳)
552-553
(約44歳-45歳)
約1年
敬帝蕭方智しょう ほうち543-558
(16歳)
554-555
(11歳-12歳)
約1年
閔帝
(貞陽侯)
蕭淵明しょう えんめい不詳-556頃555(不詳)数か月
敬帝
復位
蕭方智しょう ほうち543-558
(16歳)
555-557
(12歳-14歳)
約2年

補足

・約55年の梁王朝は、その大半を①武帝・蕭衍(在位47年)の統治が占めている。
侯景の乱の勃発と①武帝・蕭衍の死により、国家は実質的に崩壊した。
・以後、侯景の簒奪、皇族の分裂、北朝の介入、軍閥の台頭が連鎖し、
 王朝は分裂・崩壊していく。

詳細リンク

   ①武帝・蕭衍の死以前については、こちらをご参照ください。
              ↓ ↓ ↓
   蕭衍|南朝梁を建てた名君か、国を傾けた皇帝か

   侯景|南朝梁を崩壊させた「宇宙大将軍」の実像
  
      ①武帝・蕭衍の死以後の混乱から滅亡については、こちらをご参照ください。

              ↓ ↓ ↓
    梁王朝崩壊の全過程|内乱・分裂・外圧の連鎖

梁残存・派生政権一覧

① 王琳政権(蕭荘の梁)

 廟号  諡号  名前(諱)生年-没年
(没年齢)
在位ー退位
(年齢)
 在位期間 
1(永嘉王)蕭荘しょう そう不詳557-560(不詳)約3年

② 後梁(西魏→北周→隋の傀儡)

 廟号   諡号   名前(諱)生年-没年
(没年齢)
在位ー退位
(年齢)
 在位期間 
中宗宣帝蕭詧しょう さつ519-562
(44歳)
554-562
(35歳-44歳)
約8年
世祖明帝蕭巋しょう き542-585
(44歳)
562-585
(20歳-44歳)
約23年
後主蕭琮しょう そう558-607
(50歳)
585-587
(27歳-29歳)
約2年

③ 蕭銑の梁(隋末の群雄政権)

 廟号  諡号  名前(諱)生年-没年
(没年齢)
在位ー退位
(年齢)
 在位期間 
1(梁帝)蕭銑しょう せん583頃-621
(約38歳)
618-621
(約35歳-38歳)
約3年

王朝らしさ:

「南朝文化の頂点王朝 → 侯景の乱以降の内乱・分裂・外圧の連鎖」

キーワード

・南朝文化の頂点
・仏教熱・捨身
・寒門登用・五館(科挙の源流)
・長期治世と後半の失政
侯景の乱

空気感

・華麗・優雅・洗練された文化国家
・精神世界(仏教)に傾きすぎた理想主義
・前半は安定と繁栄、後半は腐敗と疲弊

物語性

・侯景の乱で帝都が陥落し、武帝が幽閉・餓死
・王朝は実質的に崩壊し、残存勢力が各地で分裂

崩壊パターン

「名君の晩年の失政 → 皇族の対立と分裂 → 外圧」

関連リンク

中国王朝の皇帝家系図まとめ(完全版)