慕容沖|美貌で寵愛され、西燕の皇帝となった悲劇の鮮卑王族

西燕の皇帝・慕容沖 021.皇帝

中国美貌られる人物数多く存在する。
その中でも、容姿運命大きく左右した人物一人が、
十六時代鮮卑王族 慕容 ある。

もともと鮮卑慕容建て国家・皇子として生まれた。
しかし国家滅亡すると敵国連行れ、皇帝 苻堅 宮廷入ることになる。
そこでは、その美貌ゆえに皇帝寵愛受ける存在た。

だがそれは、した敵国王族愛玩するという屈辱立場でもあった。

やがて衰退すると、慕容鮮卑勢力反乱し、
ついに西燕皇帝 まで上り詰める。
しかしその政権内部抗争揺れ、自身部下によって暗殺れるという結末迎える。

慕容沖の生涯は、美貌によって翻弄れ、
そして権力闘争てい十六時代悲劇象徴するものでもある。

前燕皇子として生まれる

慕容沖(359年頃生)は、鮮卑慕容王族として生まれた。

皇帝 慕容儁
慕容その皇子あり、清河公主がいた。

五胡十六国時代華北勢力国家ある。
鮮卑慕容建てこの政権一時北方有力国家が、
やがて台頭によって滅亡する。

前燕滅亡と捕虜生活

370年、滅亡する。

このとき多く慕容王族捕虜となり、長安た。
慕容またその一人あり、まだ少年年齢敵国宮廷連行た。

ここ運命大きく変わることになる。

史書慕容について

容貌美麗

記す。

その
美貌長安でもすぐ評判た。

苻堅の寵愛と慕容沖の屈辱

皇帝の寵愛を受けた美少年

長安宮廷慕容沖の美貌留めが、皇帝 ある。

非常入り、宮廷側近として扱うようなる。
さらに慕容沖の姉・清河公主また宮廷入り、同様寵愛受け伝えられる。

つまり慕容は、国家した皇帝宮廷で、愛玩れる存在のである。

これ慕容王族にとって極めて屈辱状況あった。

「鳳皇児」と呼ばれた美貌

慕容宮廷で、児(鳳凰子)ていという。

これ容姿表す呼称あり、
宮廷中でも特別存在としてていこと示しいる。

しかしこの呼び名は、同時にが「愛玩れる美少年」あっこと意味ていた。

敵国王族が、美貌ゆえに皇帝寵臣としてわれる。
この状況は、慕容にとって深い屈辱あっ考えられる。

苻堅の執着

慕容成長からも、関心なかれる。
長安では

一雄、宮」

という流行した伝えられる。

これは、慕容沖、清河公主宮廷こと指すある。
つまり宮廷人々また、皇帝寵愛よくってのである。

にとって慕容は、単なる捕虜王族ではなく、特別存在ありけた。

淝水の戦いと前秦の崩壊

383年、戦い大敗する。
これ有名戦い ある。

この敗北によって、支配急速崩れていく。
各地反乱り、かつて勢力再び動き始めた。

鮮卑慕容残党また、この混乱蜂起する。

慕容沖の挙兵

権威揺らぐと、慕容鮮卑勢力とともに挙兵する。

長安離れ、慕容軍勢まとめ対抗するようた。

このとき慕容沖のは、旧臣鮮卑多数まった。
やがて指導となり、勢力急速拡大ていく。

ここに、かつて捕虜として長安連行少年が、反乱指導として復活したのである。

西燕皇帝となる

皇帝即位

386年、慕容皇帝し、西燕 建国する。

この政権慕容国家あり、復興掲げる勢力あった。
慕容沖の長安包囲し、政権しく圧迫する。

かつて自分愛玩した皇帝を、慕容攻めることになる。

これにとって、ある復讐でもあった。

苻堅の未練

長安危機とき、なお慕容に対して複雑感情ていれる。

慕容討つようながらも、
同時にもしなら殺すな」という趣旨命令した伝えられる。

つまりは、慕容に対してなお未練ていのである。

しかしその思い裏腹に、政権急速崩壊かっていく。

慕容沖の最期

西燕内部の対立

西燕成立当初から内部対立抱えていた。

慕容沖の多く鮮卑貴族参加ていが、
その多く王族系統あり、主導争いなかた。

また慕容自身長安攻略執着し、ろうとした。
しかし部下多く故地ある関東戻るきだ」主張ていた。

この方針対立が、西燕政権内部大きく揺るがすことになる。

部下による暗殺

やがて不満爆発する。

慕容部下将軍たちによって暗殺た。
享年二十後半られる。

皇帝ってから、わずか出来事あった。

その後、西燕ではさらに政変続き、政権短期間混乱陥る。

慕容沖という人物

慕容沖の生涯は、十六時代混乱象徴いる。


 ・
皇帝息子として生まれ
 ・
国家滅亡によって捕虜となり
 ・敵国の皇帝に寵愛され

 ・
反乱軍指導となり
 ・皇帝となった後、部下に殺された

という極めて劇的運命た。

また人生は、美貌政治権力どのよう影響うるか示すでもある。

敵国皇帝寵愛少年が、やがてその包囲する皇帝なる。
そして最後は、味方によって落とす。

慕容沖の人生は、十六時代という激動時代そのもの出しいる。

中国史における美男の一人

慕容四大美男まれていないが
中国では、美貌られる人物」としてよく取り上げる。

特に
 ・
寵愛美少年
 ・
後に皇帝王族

という経歴は、中国中でも非常珍しいものである。
そのためは、中国美男紹介するよくられる人物ってる。

史書・参考文献

・『書』一二三「二十三」
・『資治通鑑』秦・西燕関係記事
・『十六春秋』慕容関係記事
十六時代研究(慕容政権に関する研究)