衛玠(えいかい、字は叔宝)は西晋時代の名士であり、
魏晋文化を象徴する人物の一人として知られる。
彼は政治家として大きな業績を残した人物ではないが、
・優雅な人物
・清談の名士
・非常な美男子
として当時の知識人社会で高く評価された。
後世では、「看殺衛玠」という逸話によって、
中国史でも有名な美男子として語られるようになった。
名門・河東衛氏
衛玠は、河東郡安邑の名族である河東衛氏の出身である。
河東は古くから文化の中心地の一つであり、多くの名士を輩出した地域として知られている。
魏晋時代は貴族社会であり、こうした名門の家柄は政治や社会で大きな影響力を持っていた。
衛玠の母は非常に聡明な女性だったと伝えられている。
彼女は衛玠に、「礼儀」「学問」「思想」を厳しく教えた。
そのため衛玠は幼い頃から教養の高い人物として知られるようになった。
清談文化
魏晋時代の知識人社会では、清談と呼ばれる議論文化が流行した。
老荘思想や玄学などの哲学問題を中心に、
宇宙・人生・政治などについて自由に語り合うもので、
魏晋の名士文化を象徴する習慣であった。
衛玠と同時代の名士として、王衍がいる。
王衍は魏晋時代の清談文化を代表する人物である。
この清談文化の中で、衛玠は王衍と並んで、魏晋の名士として高く評価された。
衛玠の人物像
衛玠の人物像
衛玠は当時、「玉人」と呼ばれた。
これは、玉のように美しい人物という意味であり、
魏晋時代の人物評価の中でも最高級の称賛である。
彼は
・端正な顔立ち
・白い肌
・優雅な振る舞い
を持つ人物として知られていた。
体の弱い名士
衛玠は容姿には恵まれていたが、
史書では、体が虚弱だったと書かれている。
そのため彼は激しい活動を避け、穏やかな生活を送っていた。
看殺衛玠の逸話
衛玠の美貌を示す最も有名な逸話が、看殺衛玠である。
衛玠が洛陽に現れると、その美しさを一目見ようとして多くの人々が集まった。
人々は彼を取り囲み、長時間その姿を眺め続けたという。
あまりに多くの人に囲まれたため、衛玠は疲れ果ててしまい体調を崩した。
そしてその後まもなく亡くなったと伝えられる。
この話から「看殺衛玠」という言葉が生まれた。
意味は「あまりにも美しい人物」である。
衛玠の死
衛玠は若くして亡くなった。
享年は20代後半と考えられている。
史書では病死とされるが、
後世では看殺衛玠の逸話と結びつけて語られることが多い。
まとめ
衛玠は西晋時代の名士であり、魏晋文化を象徴する人物の一人である。
彼は
・清談文化の名士
・中国史でも有名な美男子
として後世に名を残した。
また「看殺衛玠」という逸話は、彼の美貌を象徴する故事として現在でも知られている。
史書・参考文献
・『晋書』衛玠伝
・『世説新語』
・『資治通鑑』
・魏晋南北朝史研究

