中国史

031.皇族・王族

【魏】曹宇|曹叡に後事を託され、魏最後の皇帝の父となった曹操の子

曹宇(そうう)は曹操と環夫人の子で、曹沖・曹拠の同母弟である。曹叡から厚く信頼され、病床の曹叡から大将軍に任じられて後事を託されたが、輔政から外された。のちに息子の曹奐が魏最後の皇帝となり、自身は西晋まで生きた。曹宇の生涯を正史『三国志』や裴松之注の逸話とともに紹介する。
06.女傑

【呉】孫尚香|劉備に嫁いだ東呉の姫と「梟姫」伝説

孫尚香(そんしょうこう)は、三国時代の呉の孫権の妹で、劉備に政略結婚で嫁いだ女性。武装した侍女たちを従え、諸葛亮にも警戒された気性の強さや、劉禅を連れて呉へ帰ろうとした事件、趙雲・張飛による阻止、帰国後の不明な消息をたどる。さらに「梟姫」「弓腰姫」の呼び名や長江投身伝説、『三国志演義』で描かれた姿と史実の違いにも迫る。
06.女傑

【唐】平陽公主|父・李淵を助け唐建国を支えた“娘子軍”の女将軍

平陽公主(へいようこうしゅ)は唐高祖・李淵の娘で、柴紹の妻となった皇女である。617年に父が太原で挙兵すると関中で兵を集め、何潘仁ら複数の勢力を従えて数万の軍勢を形成し、李世民らとともに長安攻略を支えた。後世「娘子軍」として知られる軍勢の実像から、唐建国への貢献、623年の死と女性として異例の軍礼を伴った葬儀まで詳しく解説する。
06.女傑

冼夫人|梁・陳・隋を渡り歩いた“嶺南の女王”の実像

冼夫人(せんふじん)は嶺南の俚人有力者の家に生まれ、高涼太守・馮宝と結婚した女性指導者である。梁末の混乱では陳覇先に協力し、陳代には欧陽紇の反乱に対処。589年の陳滅亡を嘆いた後は隋に帰順し、嶺南安定に尽力した。譙国夫人への冊封、趙訥の処罰、隋書に「聖母」と称された生涯と功績を詳しく解説する。
06.女傑

【殷】婦好|殷王武丁の妻にして軍を率いた女性将軍

婦好(ふこう)は殷王朝の王・武丁の妃であり、軍を率いた女性将軍として知られる人物。甲骨文にも記録が残り、実在が確認されている中国最古級の女性の一人。祭祀や政治にも関わったその生涯を解説する。
06.女傑

王異|馬超と戦った涼州の烈婦と「九つの奇計」を支えた女性

王異(おうい)は、後漢末から三国時代に活躍した趙昂の妻であり、『三国志』で実際に戦闘参加が記される数少ない女性である。馬超との戦い、人質となった息子、九つの奇計などを史実ベースで詳しく解説する。
033.武将

【秦】白起|秦の天下統一への道を切り開いた戦国最強の武安君

白起(はくき)は戦国時代の秦を代表する名将である。伊闕の戦い、楚都・郢の攻略、華陽の戦い、長平の戦いで大勝を重ねた一方、趙の降伏兵を大量に処刑したことでも知られる。昭襄王との対立から杜郵で自害を命じられるまで、史料に残る逸話とともに白起の生涯を紹介する。
人物一覧

荊軻|秦の始皇帝暗殺に命を賭けた刺客

荊軻(けいか)による始皇帝暗殺未遂事件を史実ベースで徹底解説。太子丹との関係、樊於期の首、易水の別れ、咸陽宮での一連の攻防、そして失敗の原因とその歴史的意味まで詳しく読み解く。
人物一覧

【隋】宇文化及|主君を弑して帝を称した男、その野望と破滅

宇文化及(うぶんかきゅう)は隋の重臣・宇文述の子で、618年の江都の政変で驍果軍に担がれ、煬帝を死に追いやった人物である。秦王楊浩を皇帝に擁立して実権を握り、軍を率いて北上するが、李密との激戦や食糧不足、兵の離反によって勢力は急速に衰退。やがて楊浩を廃して国号「許」、年号「天寿」を掲げ自ら皇帝となるものの、619年に聊城で竇建徳に敗れるまでの生涯を詳しく解説する。
人物一覧

蘭京|高澄暗殺と東柏堂事件を史実から解説

蘭京(らんけい)とは、南朝梁の名将・蘭欽の子でありながら東魏の捕虜となり、高澄のもとで使役された人物。父による身請けや帰還の願いを拒まれ、杖罰を受けた末に暗殺を計画し、549年に鄴の東柏堂で北斉建国を目前にした高澄を殺害した。高洋も同時に狙った計画、東柏堂事件の経緯、高洋による鎮圧と北斉建国への影響まで史実から解説する。