2026-09

031.皇族・王族

【魏】曹彪|皇帝擁立を企てられ、王凌の乱に連座した曹操の子

曹彪(そうひょう)は曹操の子で、字は朱虎。曹植の「贈白馬王彪」で知られ、晩年には王凌・令狐愚から皇帝候補として擁立を企てられた。朱建平による「五十七歳の兵難」の予言から、司馬懿による王凌討伐、曹彪の自決、死後の曹嘉復封まで、史料をもとにその生涯を紹介する。
031.皇族・王族

【魏】曹沖|曹操が愛した神童の生涯と逸話

曹沖(そうちゅう)は曹操の子として生まれた神童である。象の重さを量った逸話をはじめ、罪人を救った話や曹操が後継者に望んだ記録、十三歳での早世、死後の追贈まで、正史『三国志』をもとに詳しく解説。
031.皇族・王族

【魏】曹昂|窮地に陥った父へ馬を譲り戦場に散った曹操の長男

曹昂(そうこう)は曹操の長男であり、字は子脩。生母劉夫人の早世後は丁夫人に育てられ、弱冠で孝廉に推挙された。建安2年の宛城の戦いでは父曹操に馬を譲って脱出させ、自らは張繡軍に討たれた。正史『三国志』をもとに、その生涯と死後の追封まで詳しく解説する。
031.皇族・王族

【南朝陳】陳叔陵(始興王)|墓を暴き、兄・陳叔宝を襲った陳宣帝の皇子

陳叔陵(ちんしゅくりょう)は南朝陳の宣帝・陳頊の皇子で、後主・陳叔宝の異母弟である。始興王として江州を治める一方、墓を暴いて遺骨を集めた奇行でも知られた。582年、父の死直後に皇太子陳叔宝を薬刀で襲撃して重傷を負わせ、皇位奪取を図るが失敗。東府城で挙兵した末、蕭摩訶の軍に敗れて殺害された。その生涯と政変の経緯を詳しく解説する。
06.女傑

王異|馬超と戦った涼州の烈婦と「九つの奇計」を支えた女性

王異(おうい)は、後漢末から三国時代に活躍した趙昂の妻であり、『三国志』で実際に戦闘参加が記される数少ない女性である。馬超との戦い、人質となった息子、九つの奇計などを史実ベースで詳しく解説する。
06.女傑

【唐】平陽公主|父・李淵を助け唐建国を支えた“娘子軍”の女将軍

平陽公主(へいようこうしゅ)は唐高祖・李淵の娘で、柴紹の妻となった皇女である。617年に父が太原で挙兵すると関中で兵を集め、何潘仁ら複数の勢力を従えて数万の軍勢を形成し、李世民らとともに長安攻略を支えた。後世「娘子軍」として知られる軍勢の実像から、唐建国への貢献、623年の死と女性として異例の軍礼を伴った葬儀まで詳しく解説する。
06.女傑

冼夫人|梁・陳・隋を渡り歩いた“嶺南の女王”の実像

冼夫人(せんふじん)は嶺南の俚人有力者の家に生まれ、高涼太守・馮宝と結婚した女性指導者である。梁末の混乱では陳覇先に協力し、陳代には欧陽紇の反乱に対処。589年の陳滅亡を嘆いた後は隋に帰順し、嶺南安定に尽力した。譙国夫人への冊封、趙訥の処罰、隋書に「聖母」と称された生涯と功績を詳しく解説する。
06.女傑

【呉】孫尚香|劉備に嫁いだ東呉の姫と「梟姫」伝説

孫尚香(そんしょうこう)は、三国時代の呉の孫権の妹で、劉備に政略結婚で嫁いだ女性。武装した侍女たちを従え、諸葛亮にも警戒された気性の強さや、劉禅を連れて呉へ帰ろうとした事件、趙雲・張飛による阻止、帰国後の不明な消息をたどる。さらに「梟姫」「弓腰姫」の呼び名や長江投身伝説、『三国志演義』で描かれた姿と史実の違いにも迫る。
06.女傑

【殷】婦好|殷王武丁の妻にして軍を率いた女性将軍

婦好(ふこう)は殷王朝の王・武丁の妃であり、軍を率いた女性将軍として知られる人物。甲骨文にも記録が残り、実在が確認されている中国最古級の女性の一人。祭祀や政治にも関わったその生涯を解説する。
皇帝一覧・家系図

後漢王朝の皇帝家系図と一覧|光武帝から献帝まで

後漢の皇帝家系図と一覧を図解。光武帝の再建から宦官と外戚の対立、黄巾の乱、三国時代への流れまで解説。