清

06.女傑

洪宣嬌|太平天国で「女軍」を率いた女性指導者の実像と謎

洪宣嬌(こうせんきょう)は洪秀全の妹で、蕭朝貴の妻となり太平天国の「女軍」を率った女性として語られてきた。しかし初期史料ではその実像を確認しにくく、名前や出自、軍事活動には多くの疑問が残る。金田蜂起や女営との関係、女性武将として広まった逸話、実在説をめぐる史料上の問題と最期の諸説まで詳しく解説する。
06.女傑

王聡児|清朝を震撼させた白蓮教徒を率いた女性反乱指導者

王聡児(おうそうじ)は清朝嘉慶年間の川楚白蓮教徒の反乱を率いた女性指導者である。夫・斉林が処刑された後、1796年に姚之富らと湖北で挙兵し、河南・陝西・四川方面を転戦して清軍と戦った。総教師として勢力を率いるが、1798年に追い詰められ姚之富とともに崖から身を投じたと伝わる。その生涯と清朝を揺るがした反乱を詳しく解説する。
032.権臣

和珅(ヘシェン)|罪二十条と莫大な財産で断罪された清朝の権臣

和珅(ヘシェン)は乾隆帝に見いだされ、侍衛から軍機大臣・戸部尚書などへ異例の出世を遂げた清朝の権臣である。皇帝の厚い信任を背景に乾隆晩年の政治で大きな影響力を持ち、莫大な財産を蓄積した。1799年、乾隆帝の死直後に嘉慶帝によって拘束され、罪二十条を突きつけられて自尽。その出世と蓄財、没収財産をめぐる伝説まで詳しく解説する。
03.公主

固倫和孝公主|乾隆帝が溺愛した末娘と和珅一族の運命

固倫和孝公主(こりんわこうこうしゅ)は乾隆帝の第十皇女で、惇妃汪氏との間に生まれた末娘である。皇后の娘ではないながら最高位の固倫公主に封じられるほど父帝に寵愛され、和珅の長男・豊紳殷徳と結婚した。乾隆帝死後、嘉慶帝が和珅を粛清すると夫も処分を受け、公主の立場は一変する。破格の待遇を受けた少女時代から和珅一族没落後の晩年まで詳しく解説する。
033.武将

年羹堯|雍正帝に重用された将軍の生涯・青海平定と失脚

年羹堯(ねんこうぎょう)は康熙・雍正朝に仕え、西北軍事を担った清朝の重臣である。四川・川陝で実績を重ね、雍正帝即位後には青海でロブサン・ダンジンの反乱を鎮圧して「年大将軍」と呼ばれるほどの権勢を得た。しかし絶頂からわずか数年で失脚し、92条の罪状を突きつけられて自尽を命じられる。妹・年貴妃、誤字事件、雍正帝との関係から急転した最期まで詳しく解説する。
02.妃賓

年貴妃|雍正帝に仕えた年羹堯の妹、敦粛皇貴妃の生涯

年貴妃(ねんきひ/年氏)は年羹堯の妹で、皇子時代の雍正帝に側福晋として嫁いだ女性である。福宜・福恵・福沛ら三男一女を産むが、子供はいずれも成人しなかった。雍正帝即位後は貴妃となり、病状が悪化すると皇貴妃へ昇進。兄・年羹堯が失脚する中でも厚遇され、死後は敦粛皇貴妃と諡され泰陵に従葬された。その生涯と雍正帝との関係を詳しく解説する。
02.妃賓

董鄂妃|順治帝が溺愛した順治帝の出家伝説

董鄂妃(ドンゴヒ)は順治帝の寵愛を受け、入宮後わずかな期間で皇貴妃へ昇進した清朝の妃である。皇四子を産むが幼くして失い、自身も22歳で死去。順治帝は深く悲しみ、皇后に追尊して自らその生涯を記した。皇帝が翌年に急逝したことで生まれた五台山出家伝説や董小宛との同一人物説まで、史実と伝説を分けて詳しく解説する。
031.皇帝

福臨(順治帝)|清の中国支配を進めた若き皇帝の生涯を解説

順治帝(福臨/フリン)はホンタイジの死後、わずか6歳で即位した清朝第3代皇帝である。ドルゴンの摂政下で北京へ入り、清による中国支配が本格化。親政後は南明勢力との戦争や統治体制の整備を進めた。董鄂妃を深く寵愛したことでも知られ、その死後には出家を望んだとする伝説も残る。24歳で急逝し、康熙帝へ皇位が継承されるまでの生涯を詳しく解説する。
01.皇后

孝荘文皇后(孝荘太后)とは|ホンタイジ・順治帝・康熙帝の三代を生きた清朝の太皇太后

孝荘文皇后(孝荘太后)はモンゴル・ホルチン部出身で、ホンタイジの荘妃となり順治帝を産んだ女性である。ホンタイジ急死後の幼帝即位とドルゴン摂政、清の北京入城を経験し、順治帝死後は太皇太后として幼い康熙帝を支えた。清朝三代にわたる生涯と政治的影響、ドルゴンとの再婚説など後世の伝説まで詳しく解説する。