中国史

031.皇帝

【北周】宇文邕(武帝)|宇文護を倒し北斉を滅ぼした北周最強の皇帝

宇文邕(うぶんよう/北周武帝)は、兄二帝を死に追いやった権臣・宇文護のもとで約12年耐え、572年に宮中で宇文護を誅殺して親政を開始した北周第三代皇帝。軍制・統治体制を再編し、574年には仏教・道教を廃止、575年から北斉攻略に乗り出し、577年に鄴を陥落させて北斉を滅ぼした。華北統一後も南朝陳・突厥への攻勢を続けながら、578年に36歳で急死するまで、北周を最盛期へ導いた宇文邕の生涯と政治・軍事改革を『周書』『北史』『資治通鑑』から詳しく解説する。
031.皇帝

【北斉】高湛(武成帝)|北斉を傾けた美貌の皇帝と退廃の時代

高湛(こうたん)は北斉第四代皇帝・武成帝。兄・高演と楊愔らを排除する政変に加わり、高殷の廃位を経て即位した。高百年殺害、胡皇后と和士開を中心とする宮廷政治、太上皇となった後も握り続けた実権、北周との攻防まで、北斉衰退へつながる治世と生涯を詳しく解説する。
031.皇帝

【南朝梁】蕭衍|南朝梁を建国した名君と侯景の乱による崩壊

蕭衍(しょう えん/武帝)の生涯を詳説。南朝梁の建国、制度改革と仏教傾倒、陳慶之の北伐、そして侯景の乱による崩壊までを史実ベースで解説する。
031.皇帝

【南朝陳】陳覇先|王僧弁を討ち梁の崩壊を収拾して陳を建てた軍人

陳覇先(ちんはせん)は侯景の乱で王僧弁と合流して建康奪還に貢献し、南朝陳を建国した初代皇帝・武帝である。梁元帝の死後、北斉が蕭淵明を擁立すると王僧弁を殺害して蕭方智を擁立。王僧弁派や蕭勃を破り、北斉軍の侵攻も撃退して実権を掌握し、557年に梁から禅譲を受けた。その生涯と陳建国までの政争を詳しく解説する。
037.宦官

【唐】高力士|唐玄宗に仕え続けた宦官の生涯と権力

高力士(こうりきし)は唐玄宗の即位前から最側近として仕え、開元の治を支えた宦官である。安史の乱では玄宗に最後まで同行し、禁軍反乱の収拾のため楊貴妃を縊死させた。乱後は宦官・李輔国により流罪となり、762年に広州で病死した。忠義と権勢を併せ持つ唐代最大の宦官として知られる。
031.皇帝

【南朝宋】劉義隆(文帝)|元嘉の治から北魏戦争の失敗、皇太子による弑逆まで

劉義隆(りゅうぎりゅう/文帝)は南朝宋第3代皇帝で、徐羨之・傅亮・謝晦を排除して親政を確立し、「元嘉の治」と呼ばれる安定期を築いた。一方で名将・檀道済を誅殺し、北魏への大規模北伐は失敗。皇弟劉義康も排除し、晩年には皇太子劉劭らの巫蠱事件が発覚すると廃太子を決意するが、453年に劉劭の兵に宮中で殺害された。
031.皇帝

【南朝宋】劉駿(孝武帝)|弑逆後の即位と皇族粛清・暴政の実態

劉駿(りゅうしゅん/孝武帝)は南朝宋の第4代皇帝である。453年、兄の劉劭が父・文帝を弑逆すると江州で挙兵し、建康を攻略して即位。劉義宣・臧質の反乱を鎮圧し、寒門登用や中央集権化を進めた一方、宗室への統制を強め、晩年には奢侈と専制が目立った。その治世と464年の死まで詳しく解説する。
031.皇帝

【南朝宋】劉子業(前廃帝)|皇族殺戮と残虐嗜好、宮廷崩壊の実態

劉子業(りゅうしぎょう/前廃帝)は孝武帝劉駿の長男として17歳前後で南朝宋皇帝となった。叔父たちを宮中に監禁して「猪王」などと呼び、劉義恭ら皇族・重臣を殺害。処刑を見世物にした残虐行為や新蔡公主との近親関係も史書に記される。湘東王劉彧を虐待した末、465年に近臣の寿寂之らに殺害された生涯を詳しく解説する。
031.皇帝

【南朝宋】劉彧(明帝)|前廃帝討伐と反乱鎮圧、孝武帝の男子28人粛清の実態

劉彧(りゅういく/明帝)文帝劉義隆の子で、前廃帝劉子業から「猪王」と呼ばれ虐待された南朝宋皇帝である。劉子業殺害後に即位すると、皇帝を称した劉子勛との内戦を制圧する一方、北魏の侵攻で淮北を喪失。孝武帝劉駿の諸子や兄弟を次々と排除し、幼い劉昱へ皇位を残すまでの生涯を詳しく解説する。
037.宦官

【唐】李輔国|粛宗を支え大きな権力を握った唐代の宦官

李輔国(りほこく)は安史の乱で太子李亨に従い、霊武での粛宗即位を支えた唐の宦官である。粛宗の信任を得て禁軍と朝政を掌握し、玄宗を西内へ移して影響力を排除。張皇后を倒して代宗擁立にも関与し、宦官として異例の中書令・尚父に上った。程元振との関係、専権、代宗による失脚と暗殺まで詳しく解説する。