2026-09

01.皇后

【北宋】劉娥|真宗の皇后から仁宗の摂政となった章献明粛皇后の生涯

劉娥(りゅうが)は北宋真宗の皇后・章献明粛皇后で、真宗死後は幼い仁宗の皇太后として垂簾聴政を行った。貧しい出自から皇后へ上った生涯、寇準らとの政争、仁宗の生母・李宸妃をめぐる「狸猫換太子」伝説、皇帝に準じた権威を持ちながら帝位を奪わなかった最期まで、『宋史』をもとに実像を詳しく解説する。
03.公主

【東晋】司馬道福|王献之との再婚で知られる簡文帝の公主

司馬道福(しばどうふく)は東晋の簡文帝の娘。最初は桓済に嫁ぐが離婚し、その後王羲之の子である王献之と再婚した。王献之は前妻郗道茂を愛していたため縁談を拒み、足を焼いた逸話が残る。東晋の皇族と名門士族の婚姻事件を解説。
03.公主

【北魏】元明月|北魏平原公主と孝武帝の寵愛、宇文泰による悲劇の最期

元明月(げんめいげつ)は北魏孝文帝の孫で、京兆王元愉の娘、平原公主となった皇族女性である。父の反乱と両親の死、孫騰・封隆之をめぐる再婚問題、孝武帝元脩との関係、534年の洛陽脱出と関中への同行、宇文泰の命による殺害、兄・元宝炬の西魏皇帝即位まで、北魏分裂期に翻弄された生涯を史書から詳しく解説する。
03.公主

【北魏】安徳公主|北魏皇族が見た王朝崩壊と北斉宮廷の狂気

安徳公主(あんとくこうしゅ)は、孝文帝の孫で清河王元懌の娘にあたる北魏の公主。孝武帝の愛人となり、北魏分裂後も東魏に残って北斉成立まで生きた。父・元懌の政変による死、孝武帝との関係、542年の造像記、甥・孝静帝の廃位、文宣帝・高洋から受けた凄惨な凌辱まで、元氏皇族の没落と重なる生涯を史料からたどる。
035.美男

【東晋】衛玠|「看殺衛玠」の逸話で知られる中国史の美男子

衛玠(えいかい)とはどんな人物だったのか。西晋時代の名士であり、中国史でも有名な美男子として知られる人物である。人々に見つめられて死んだと伝わる「看殺衛玠」の逸話、魏晋の名士文化や清談との関係などをわかりやすく解説。
035.美男

【西晋】潘安|馬車に果物が山になるほど女性に人気だった美男子

潘安(はんあん/潘岳)とはどんな人物だったのか。中国史を代表する美男子として知られる西晋の文人・潘安の生涯を解説。擲果盈車の逸話、妻を悼んだ悼亡詩、西晋文学での評価や八王の乱での最期までわかりやすく紹介する。
034.文人・学者

【魏】曹植|才高八斗と七歩の才で知られる魏の天才詩人

曹植(そうしょく)は曹操の子として生まれ、卓越した文才によって父の寵愛を受けた魏の皇子・文学者である。曹丕との後継者争い、楊修らとの関係、政治参加への執念、『白馬篇』『洛神賦』などの代表作、七歩詩の真偽、才高八斗と称された後世の評価までを史実に基づいて詳しく解説する。
034.文人・学者

【北宋】蘇軾(東坡居士)|詩・詞・書・絵画に通じ逆境すら楽しんだ天才の実像

蘇軾(そしょく/蘇東坡)は、北宋の政治家・文学者で、唐宋八大家の一人。王安石の新法を批判し、烏台詩案で投獄された後、黄州へ左遷された。黄州では「赤壁賦」「念奴嬌・赤壁懐古」を著し、杭州では西湖の浚渫と蘇堤の築造に携わった。朝廷内の政争によって恵州、さらに海南島の儋州へ流され、赦免後の1101年に常州で66歳で死去。詩・詞・書画に才能を発揮した生涯をたどる。
034.文人・学者

【北宋】司馬光|王安石と対立した旧法派の指導者で『資治通鑑』の編者

司馬光(しばこう)は北宋を代表する政治家・歴史家で、『資治通鑑』を編纂した旧法派の中心人物である。王安石の青苗法・募役法など新法に反対して洛陽へ退き、19年をかけて大著を完成。神宗死後は哲宗朝で宰相となり元祐更化を進めた。幼少期の「破甕救友」、新法廃止をめぐる評価、死後の党争への影響まで詳しく解説する。
034.文人・学者

【北宋】王安石|新法を断行した改革者と新法・旧法の争い

王安石(おうあんせき)は北宋神宗に登用され、熙寧の新法を主導した政治家・思想家である。青苗法・均輸法・募役法・市易法・保甲法など財政・軍事改革を断行し、司馬光や欧陽脩らと対立。二度の宰相辞任、新法の成果と弊害、神宗死後の元祐更化、唐宋八大家に数えられる文学者としての側面まで詳しく解説する。